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2014年11月8日土曜日

11月6日(木) だれかの姿勢を再現する

とあるプロジェクトのミーティング。
先輩と2人で床にぺたっと座りながらの話し合い。
私はあぐらをかいていた。

ミーティングのログをとろうと、脚にPCをのせてキーボードをかたかたと鳴らす。

あれ?なんかこの感じ、陽理っぽい。
(※陽理…身体班のメンバー)

この自分の姿勢に、陽理を感じた。

陽理といえば、研究会中いつもあぐらをかいた脚の上にPCを置いていて、タイピングするときはひじが体側の後ろ寄りにあり、手首がPCの上で固定されて指だけが動いている。



写真は机に座っているときのものであるため、少し姿勢が違うけれど、手首が固定されている状態は分かっていただけるのではないだろうか。


でも、私はこのとき、特に手首やひじには意識がなく、陽理っぽさの具体的な要素は考えず、「なんとなく陽理っぽい」としか感じていなかった。

そのなんとなくの陽理っぽさを感じて、思わず先輩に「これ陽理っぽくないですか?!」と聞いてみたら、「ほんとだ!」と。しかも、「手首の位置とかそっくりだね!」と言われたのだ。

そういわれてはじめて気づいた。
陽理がキーボードをたたく「手首の形」が特殊だったわけではなく、この姿勢だと、そういう手の形・ひじの位置にならざるを得ないのだ。
だって、私は手首は意識していなかったのだから。

そして今日も、スケッチしてみた。


陽理のまねをした自分の姿勢を描いていて気付いたのは、
実は思っていたほど前傾姿勢じゃなかったこと。

自分の感覚では、「前傾した状態」だと思っていたけれど、実際自分の背中を見てみると、そんなに前傾していない。
しかし、ひじは後ろにあった。
なるほど、ひじが後ろにあることが、胴体が前傾している、というふうに感じさせたんだな。

スケッチをしていると、身体をしっかりとモノとして見ることができる。
これは今まで研究会で様々な課題をやってきた中ですでに分かっていたことだったけれど、自分の身体に向き合うには絶好のツールなんだ。




今日はたまたま、陽理の身体を再現できたけれど、こうやって、誰かの見た目をまねをすることで、今まで意識したことのない身体の使い方に出会えるかもしれない。

次はだれのまねをしようかな…?


2014.11.6 Koseki

2014年11月7日金曜日

ケガがほぼ治ってきました。

きのうの練習できづいたことを書く。
きのう、ケガがかなりよくなってきたということで、少し勇気を出して「立ち五段とび」を行った。立った状態から5歩とんでできるだけ遠くにいくというものである。
もともと足首を怪我していたため、この練習を積極的にやることはなかった。重要性はそれなりに感じていたのだが。今回やってみると、案の定身体が重い。はさみこみの、切り返しのスピードが全然ないメリハリのない跳躍となってしまう。まさに怪我明けなのが顕著に出た。何回かとんだあと、ふと「ダブルアーム」でやってみようと思った。ダブルアームとは、接地の際、両腕を同時に前に振り出し、爆発的に跳躍するやり方である。三段跳びの選手にこの方法でやる選手が結構いる。真似してやってみると、意外とできてしまった。以前になんとなくかっこいいなと思ってやってみたことがあったが、まるでタイミングがつかめず全然できなかったのだ。なのでびっくりした。自分の身体の操作性は1年ほど前にくらべてここまで進化していたのかと感じた。実際シングルアームとの距離の比較はまだしていないが、この冬はダブルアームでの立ち五段とびを積極的に実践していこうと思う。その理由として、自分は走り高跳びの踏切においてダブルアームだからだ。いつも踏切で上体をつかう感じが全くないので、この練習をすれば上体で引き上げることができるようになるのではないかという期待のもとである。
そして、ダブルアームでとんでいるとき、後輩から「肩甲骨がまったく動いていません笑」と笑われてしまった。このダブルアームの練習をちゃんと行うことで肩甲骨まわりの動的柔軟性も得ることができるのではという思いも寄らなかった期待が生まれた。
今はこの「ダブルアーム」に非常に可能性を感じている。
以上。

ケガ中の模索・・・⑦


ORFがせまってきている。データ数を増やさなければという焦りとともに毎日更新を目指します。
 ケガをしている左ハムストリングスの具合がかなりよくなってきた。ひきつける動きも、あまり怖くなくできるようになってきた。力が入りにくいという感覚もほぼなく、左右差もあまりない。嬉しい限りである。11月中には完全なる完治をさせたいと思う。12月から本格的な冬季練習に入れるように。
 しばらくブログを更新できていなかったが、たしかにここ数日まで新たな気づきは少なかったかもしれない。ブログを積極的に書く姿勢がなかったのもそれが大きく関わっていると思われる。それでは最近の気づきを。

 ひとつめ。走りの具体的イメージに関して。以前のブログの内容は「両肩と骨盤の右端左端を点だと思い、その4つが直線でつながれている。その四角形の4頂点の動きに着目した走りの意識のinputがいい。具体的には右足が接地する瞬間だと、左上の点と右下の点を前に出していくイメージがよいということだ。それを毎回の接地で左右を入れ替えながら意識していく」 といった感じだった。さらにその後、「膝をだしていくイメージで走るのがもっとよい。その際、踵の軌跡が直線となるようにややひきつけながら前にだす
のが良い」ということに気付いた。 今回は、前の2つのイメージをなんとなくつなげた意識となる。「身体に縦に2本の軸があるイメージをもち、接地している足の逆側の軸を前に出していく」という意識だ。その軸は、身体に刺さっているのではなく、身体のほんの少し前に刺さっているというのが重要なポイントである。すると、かなり気持ちよくはしることができた。一歩一歩のストライドがだいぶ変わった感じがある。一歩一歩をポーンポーンと飛び跳ねている感覚も得られる。ただし、この意識のinputだと、身体のコンディションがかなりいいときでないと、上に挙げた「一歩一歩のストライドがだいぶ変わった感じがある。一歩一歩をポーンポーンと飛び跳ねている感覚も得られる。」という感覚まではちゃんとは得られない。そこで話題は2つめにつながる。
 
 ふたつめ。以前からなんとなく気付いてはいたことだが、「身体を休めた次の日は、身体のコンディションが微妙」ということである。大会直前をのぞいて、あまりコンディショニングというのはいままでやってこなかった。その中で経験的に気付いていたことが、今回確固たるものに変わった(ひとつめの意識の走りでいい感覚が得られる日・得られない日を比較することで)。身体を休めた次の日は、特にアップの段階で身体がけだるい。走りのイメージも思った通りに動かない度が高い。しかしその次の日となると、前日に身体をまあまあ酷使していても、アップの段階から身体が起きている感じがする。こういう日は、走りの意識のinputの結果、割といい感覚を得ながら走ることができるのだ。

身体をやわらかくする努力を毎日して、走りの感覚も細かく考えるようにすると、身体のコンディションのいい悪いに敏感になるようになる。それまでは細かく考えすぎないようにあえてしていた部分もある。冬はきついトレーニングがつづくので、その中でいかに身体のコンディションと身体感覚の関係性をよくしていけるかが問われるのではと思った。

以上。

2014年11月6日木曜日

11月5日(水) スケッチする

今日は、踊り終わった直後に、感じたことを書いてみた。
いつもはレッスンが終わったあとに書いていたけれど、今日はバー・レッスンのときからずっともやもやしていて、すぐにでもノートに悩みを打ち明けたくなってしまった。

バーにつかまって、第1ポジションになった瞬間、「今日だめだな」。
下腹部が引き上がらない。
引き上げようとして、最近の注目ポイントになっている「内腿を前に」出そうとしても、付け根がそれに連動しなくて、引き上がらない。

なんというか、腹筋がとっても長くなって、下半身と上半身がつながっていない感じ。

今日はレッスンの中で、久しぶりにみんなで腹筋の筋トレをしたのに、なんで今日は腹筋が鈍いんだろう。
でも、筋トレ中はとても心地よかった。
やっぱり最近踊りながら腹筋を意識できるようになったからかな。

・・・

パッセをするとき、最近気づいた「付け根で腹筋をえぐる感覚」を使おう!そうすれば腹筋の鈍さも解消されるはず。
そう願いながら実践してみたけれど… だめだった。

身体がびくともしない。言うことをきかない。
下半身と上半身をつなげたい…!

そんなふうにもやもやをノートにぶつけながら、今日はこのコンディションに対してどんなアプローチをしたんだっけ、と思い出してみた。

・・・

以前、美和子さんに教えていただいた「胸鎖関節の手袋マジック(私が勝ってに名付けた)」は、今日も踊る前に実践。
ひも付き(両手がつながっている)手袋のひもが、胸鎖関節からぶら下がっているように意識する。
これは、胸鎖関節から手が直接つながっている感覚を養うもので、これをやると、まるで肩がなくなったかのような感覚になる。
手が、鎖骨から一本のひもでつながっていると意識するため、「腕が重たい」という感覚が返ってくる。
腕が重たいと感じるときは、いい踊りができる。

でも、今日は踊りのなかでこの感覚を使えた気がしなかった。

・・・

私の次に、2つ上の先輩が踊った。
そういえばこの作品も、パッセがたくさんあるんだよなあ。

鏡越しに先輩の踊りを見ながら、この人のパッセは見ていて心地が良いな、と思った。
なんというか、かかとが腹筋に突き刺さっているような感じ。
ポアントで立つたびに、カーンッ!とかグッとか音が聞こえてくるような感じ。

これをどうにか記録したくて、今まで文字しか書いていなかったノートに、突然絵を描き始めた。



絵が下手なので、あまりスケッチをサラサラと描くことはないのだけれど、今日は、下手でもいいからスケッチとして残したかった。

・・・

ピルエットの後の左脚を上げるアティテュード、立つ瞬間に上げた脚が揺れてるよ、と先生に指摘された。

鏡を見ながら何度もやってみると、軸足が、ポアントで立つときに少しジャンプしており、その反動で上げた脚が揺れているということが分かった。

足を踏み込んだところから、つま先を少し引きながら立っていた。

これもスケッチしてみよう。
そう思って自分の身体を改めて鏡で見てみた。


描いてみてわかったのは、このとき、私は骨盤の傾きにはまったく意識がいっていなかったということだった。
スケッチしようとしたら骨盤が描けなくて、思わず鏡に助けを求めたのだ。

図の赤いラインの上に立ちたい。
そうすれば、ジャンプしてしまう心配のない。

「行った先に立つ」という意識を持って実践してみたら、スイーっ、スイーっ、という感覚だった。
「なめらかに浮いた感」。

今までのは、「カン!どわゎゎゎゎぁあん」という感じだったから、そうならないように、「なめらかに浮いた感」を意識してこれからやっていこう。


*おまけ*

後輩の踊りを見ていて、腕の使い方が気になった。
なんか違和感があるけれど、何が違和感の正体なんだろうとスケッチをしてみた。

あっ、腕を動かすときに、肩と手先しか動いていないんだ。
二の腕と、肘と手先の間をもっと使えばきっと素敵になるだろうなあ。




今日の収穫「スケッチは良い。今まで自分がどこを意識していなかったかが見える。」



2014.11.6 Koseki

2014年11月5日水曜日

古(ふるき)を稽(かんが)える

伝統と現在のアダプタです。よーりです。

……now adapting……

今日はちょっとした気づきから。
前の記事(どこに球を置くか。虚の球を磨く)で言及した「這い」についての気づきである。

肘の高さが肩と同じになるくらいにまで両手をあげて腰を落とす。そして、顔を前に出してジグザグに足を進める。そのとき、地面と相対化して見て、腕が左右に動かないようにするのが這いの歩法である。パントマイムのように。

僕の課題として、「肘が外に開いてしまうのを直す」というものがあった。肘を外に開いていた方が楽に大きくジグザグに進めるのだ。逆に、肘を閉じてしまうと横に進むのが窮屈で仕方ない。威力のある突きを放ってくる相手と対峙するときは、つい大きく避けようと思って肘を開いてしまう。むしろ、どうして肘を閉じてしまえと流派で指導されるのかが疑問であった。納得がなければやすやすと直すことができない。

それが、先日の稽古での気づきによって解かれたのだ。

きっかけは、24式太極拳の始めの型である「起勢」についての教えであった。
24式太極拳
動画の一番最初の、足を開いて腕を肩まで上げて、腰と一緒に落とす、というシンプルな動作のことだ。こんな抽象的な動作がそのまま武術になるのが太極拳の深みだ。

腕を上げた状態のときに相手の突きが自分の腹に向かってくる。そのときに腕を落とすと、相手の腕に接触して突きが下に逸れる結果となる。以前から知ってはいたため、楽々できるように思われた。

「腕に力が入ってるね」

一応、突きも逸れて結果的に良い出来だと思ったが、師範にそう言われて気付いた。腕に力が入っていると、ガツっとぶつかるような手応えになってしまっていけない。上手くいくと、フワッと柔らかく重さが乗る感触があるのだが、このときはガツっとした手応えであった。

何を変えれば上手くいくのか分からないまま、次の指導に入った。這いの指導である。

這いのときの腕も太極拳の起勢と同じ意味を持っている、というのが指導の趣旨であったようだ。前に出したこちらの顔 を狙った突きを、上げた腕を落とすことによって逸らすのだ。

このときも、僕の肘は外に開いたままだった。何度か、逸らしをするうちに師範に指摘された。

「肘が外にあるから、真下に落とすときに一回閉じてから落とすことになる。ワンステップのロスがあるよ」

言われてみればその通りだ。さらに言うと、肘を外に開いたまま腕を落とすと、腕の軌道までも外に開いてしまう。実際に肘を閉じてやってみると、ロスなくダイレクトに重さを相手に伝えられた。

だが、「肘を閉じる」という意識の入力に何か違和感があった。何か身体にぎこちないものを感じた。そこで、フッと太極拳の姿勢の要件が意識に浮かんだ。

「沈肩墜肘(ちんけんついちゅう)」

両肩に下に沈めて、肘が常に下を向くように、という意味である。試しにこの意識で這いの構えをすると、左右に窮屈なのは変わらないがずっと自然になった。そのまま、腕を落とすと脱力したまま柔かく相手の突きを逸らすことができた。

きっと、起勢でもこの意識をすればよかったに違いない。這いは大気拳であるが、起勢は太極拳の型なのだから姿勢の意識にマッチしないはずがない。

技が技を考えたわけではなく、技を考案したのは古の人である。その人が何を伝えようとしたのかを、肘を開かないといった技の要求から考えるのが稽古なのだと改めて実感した。

さらにいうと、肘が落ちた状態で這いをしようとすると左右に窮屈であるが、ここからも古の人が伝えたかった戦術が見えてくるように思える。

窮屈でも一応、左右に半歩動くことができる。そして、それだけ移動できれば相手の攻撃を避けることが可能なのだ。
相手が自分の身体のど真ん中、例えば鳩尾を突いてきたとしよう。そのときに、肩幅の半分だけでも横に動けばぎりぎり躱すことができる。相手が自分の身体の左右どちらかを突いたきたならもっと余裕を持って躱せるだろう。

つまり、左右に窮屈であるということは、身体半分の幅という最小限 の動きで躱せ、という古の人からの伝令なのである。

さらにそこから色々な戦術が想起される。最小限の動きで躱すといっても、相手がどこを打ってくるか分からない状態で待つというのは大変、不安な心持ちになる。だから、逆の発想として「こちらから隙を作ることで、相手の攻撃がそこを打つよう特定させる。その上で躱す」というものが生まれる。

どこに球を置くか。虚の球を磨く(前の記事でも言ってた)

万全の構えよりも、どこかに隙を見せることで相手を誘導することができるのだ。這いでいうと、顔を前に出すということがこれに当たる。遠くに見える鳩尾や金的を打つより、近くにある顔に手を出してしまうという相手の心理を利用するのだ。


もう一つの最近の気づきはこれに近いものがある。「このまま当てることができる!という相手の意識の集中を利用する」というものだ。
http://shintaihan.blogspot.jp/2014/10/blog-post_30.html
これに近いことは以前にも書いていたが、もっと洗練させることができた。

簡単にいうと、後の先での工夫である。相手の攻撃を読んでから一方に避ける仕草をしてから逆に避けるともっと相手のマイクロスリップを殺すことができると気付いたのだ。

それは、前回の記事でも書いた非常に強い講師の方の動きを見ていて分かったことだ。その方と組んで打ち込むとなにがなんだか分からないうちに倒されるので、他の人と組んでいるところを見ていた。すると、自分で組んでいるときには分からないことが分かった。
https://www.youtube.com/watch?v=hZruJFZ6Kqo

この動画の25秒からのところに近い。相手が打ち込みやすい方向にわざと動いてから逆の方向に回り込んでいたのだ。これも後の先の一つの形なのだろう。自分と組んだときも、僕が打とうとするのと同時に動いていたことは分かっていたが、まさかそうしていたとは……。

例えば、人間の腕の構造的に右で殴りかかろうとしたときは、ストレートの訓練でもしない限りは一度テイクバックして自分から見て右に膨らんでから斜め左に殴り抜けるという軌道になる。だから、その方は相手が右で殴ろうとした瞬間にそれを読んでまず、自分から見て右に動いてから左に躱していた。相手が殴りやすい右にまず動くことによって「このまま当たる!」という意識を強くしていたのだろう。

そういった気づきから仮説が直感的に閃いた。

「自分の影を濃くしてそこを相手に切らせる」

この仮説のまま動いたところ、さらに相手を困惑させることができたように感じる。この仮説の意識で動くと、あまり意識しなくとも自分が顔なりを出した隙に相手が打ち込んでくるのを読んで、相手の打ちやすい方向にまず動いてから逆に避けることができるようになった。影を濃くするという意識が、打ちやすい方向にいったん動くことで相手にとっての意識の集中を強くするという行動にマッチしたように思う。

上手い人は避けた方向に突きがホーミングしてくるのだが、打ちやすい方向にホーミングが使われることでマイクロスリップによる修正が無駄に使われるのだと考える。

伝統と現代のアダプタになって、さらに古の人の考えを進めたところで筆を置くことにする。

2014年11月3日月曜日

体の末端と中心



秋冬に半袖タンクトップ大好きな山崎です。短い文章ですが、忘れないうちに記します。

先日、ジムでデッドリフトを行っているときのことだ。デッドリフトは広背筋や僧帽筋、背柱起立筋など背筋全般を鍛えるトレーニング法である。

このトレーニングを行うときに、悩んでいたことが、腕や手にウエイトを感じてしまい、背筋に直接ウエイトを効かす感覚が得れないことだ。しかし、ここ最近は段々その解決法が見えてきた。

それは「小指と薬指の意識」である。
ウエイトのバーを持つときに、意識が当たりがちなのは中指と人差し指、と親指である。これらを意識した握り方は、主に肩より下の筋肉を使う。試しにやってみてほしい。親指と人差し指、中指(以下、第1~第3指と呼ぶ)に集中して拳を握ると、腕や肩に集中的に力が入る。私は今までこの握り方でウエイトを持ち上げていた。

しかし、実はこれが先ほどの記述した「体の中心にウエイトが効いている感じがしない」原因の一つとなっていた。第一指~第三指を意識した握り方は、前かがみな姿勢になりやすい。この姿勢のままだと、ウエイトを腕で持ち上げてしまう感覚になってしまう。そこで握り方を変えてみた。薬指と小指(以下、第四~五指と呼ぶ)に集中してみる。これも試してほしいのだが、第四~五指を意識した握り方は、広背筋にも力が入り、胸が張る。(この感覚だ!)とはっとした。できるだけ体の中心の大きな筋肉を使い、重りと体の中心を近づける意識で持ち上げてみる。ドンピシャであった。明らかに背筋の大きな筋肉にウエイトを感じる。また、腕から肩にかけてはあまりウエイトをかんじない。むしろ力を入れてないのに、より強くバーを握れている感覚であった。第4~第5指と背筋は連動していることは知識としてはあったが、実感を得た瞬間であった。

末端の細かな動きは体の中心の大きな筋肉と連動する。他にもなにか発見があるはずだ。

2014年11月2日日曜日

引き出しを引くために。ワケワカンナクナルためのススメ

僕の悩みは、ドラえもんが慌てるときに似ている。
一人で、落ち着いているときにはスラスラ出てくることがいざというときに出てこない。

「あれでもない これでもない」

ドラえもんはポケットに便利な道具をたくさん持っているが、慌てると傘やらヤカンやらトンチンカンなものを出してしまう。まさに宝の持ち腐れだ。

いや、トンチンカンなものでも出せるならまだ良い。最悪を想定するなら、焦ってポケットの出口に道具が詰まって何も出ないときがそれである。

そんな、ドラえもんでもやったことのない最悪を僕はやってしまう。
のび太くんにこう言われても仕方ない。
ブログに偉そうに能書きたれている僕であるが、引き出しをつっかえさせてしまう、ストックを渋滞させてしまうのだ。相手の攻撃に合わせてリアルタイムに「最高の返し」をしようと考えるあまり、技が出なくなる、悪くすると立ち止まって居着いてしまうのだ。多くの技を持っているはずなのに、その中から咄嗟にベストな技を選択できないことが僕の大きな悩みなのだ。


この悩みに関連する問題をあげよう。その問題は諏訪研でも結構な頻度で話題になる。それは「引き出し問題」という。これを説明するなら以下のようになる。

「状況に合わせて、リアルタイムに良質なレスポンスを引き出すこと」

ラップや落語といった、色々な分野、競技ごとに、実践者は自分の技をストックしている。そのストックを状況に応じて引き出せるようになるのがその分野での一つの到達点だと思われる。自動化の一種といってもいいのかもしれない。
大築立志「運動技術と運動技能」

数ある分野の中でも、弓道やボウリングといった環境変数の変化が比較的少ないクローズドスキルに比べて、相手という変数がこちらの裏をかこうとしてくるというオープンスキルの極地である武術で引き出しを自在にすることは高等な境地だと思われる。さらに、その反応時間はかなりの短時間だ。

少なくとも、僕の流派の師範クラスは全員、この境地に達しているように見える。こちらが攻撃するごとに返される反撃に一つとして同じものがない。毎度毎度、こちらの意表を突いてくる、換言すると、そのときの僕のフレームを破る技が飛び出してくる。

宗家なんて「動けば即ち技になる」レベルだとご自身を呼称していて、実際にそうなのだから凄まじい。どんな攻撃にも引き出しから自在に技を取り出すだけに飽き足らず、その技の効果が低いとみるやいなや効果が高い技に流動的に応用していく。技を受けた実感としては、あれよあれよという間に、こちらがどんな技をかけられているか把握する前に次々に技が応用されて気付けば地面に転がっている、といったものだ。

その境地に近づきたい……天衣無縫の境地に……。

そう思っていたところ、その糸口が稽古に姿を現した。つい一昨日のことである。


一昨日は、かなり実験的な稽古方法をした。まずはナイフを使った推手だ。

推手とは目をつむることで触覚を鋭敏にさせた上で、相手と手と手を接触させることで力の流れを感じて相手の力の方向を逸らしたり、返したりするという稽古だ。
太極拳推手

普通は手でやるものだから安全なのだが、皮膚と違って摩擦を感じにくいナイフをお互いに接触させて力の方向を読むというのだから心が休まらない。精神が疲弊した。

ナイフ推手が終わって次に、ナイフを持って襲ってくる相手の攻撃を捌いて制圧するという訓練をした。自分が得意とする角度、苦手とする角度がよく分かる。例えば、僕から見て右から振ってくる攻撃にはよく反応できるのだが、捻り気味に右ストレートのように突かれると弱かった。相手のナイフの角度に集中して反撃しつづけた。やはり疲れる。

さらには、ナイフを持って二人がかりで突いてくる。対多人数の基本である「集団の間に入らないこと」を意識してなるべく実践しようとした。二人の間に入らず、なるべく外に回る。すると、敵同士が邪魔となるため僕が相手するのは一人だけで済む。
武術には、片腕だけで相手を翻弄する技もあるため一瞬だけなら相手の間に入っていい。そう油断していたら、僕の片手では処理できない角度からナイフが奔った。寸止めされるが、かなり危なかった。視界を広くとって油断なく相手との位置取りを探す。その中で、一方向に回っていると、相手をしていないもう一方の相手に先を読まれて回り込まれることに気付いた。一つの相手を制圧しながら、もう一方が来る方向を見定めて歩法で方向転換をする。これも疲れた。

さて、ナイフを置いて素手で相手がかかってきた。疲れてボーッとしながら動くと、なんだかすんなりと反撃ができた。不思議と何も考えない方が上手い返しができる。ベストとまではいわないけれど、ベターなくらい。

「てきとーです」

以前に、師範がよくそう言いながら相手をしてくれたことを思い出した。そうか、てきとーがいいのか……。

そう思うことで二人相手が素手でかかってくるときも余裕をもって対処できた。考えながらやっていたときには詰まって出て来なかった合気道の技や八卦掌の歩法がスルスル出てきた。相手に挟まれているときに、一方の相手の脇を潜るようにするとちょうどその身体がもう一方の攻撃を遮った。あまり意識しなくとも効果的な技が掘り起こされて面白い。
合気道と八卦掌はやはり、対多人数でこそ映えるのだなあと実感した。

稽古が終わった後の食事で、久々にお越しになった講師の方と話した。たまに稽古に来てくださる方で僕が手も足も出ないくらいに非常に強い人だ(こういうとあまり強そうに聞こえないから表現に困る)。今回の実験的な稽古法の発案者である。

「一人稽古のときには色々意識できるのですが、相手を目の前にするとぶっ飛んでしまいます」

前回の記事で書いた「全身から気を出す」ことだって意識できたのは最初の数分だけで、すぐにフィーリングになってしまった。

「まあそうなるよね」

あっけからんと講師の方が言った。少し拍子抜けした。

「相手が格下なら意識する余裕はあるけど、強い人を相手にするとそうはいかないよ。今回みたいにナイフを持ってたり、複数人だったりしたら、もっとわけがわからなくなる」

そこで、前に講師の方が言っていた、「一人稽古のときでも複数人を相手するときに同じ意識でいられるように無心になる」という言葉を思い出した。なるほど、一人稽古のときにもわけがわからないまま動くことを訓練するのか。

と、ここで、先日のたいしょーさん(諏訪研の先輩)のラップについて院生の方が質問したときを連想した。たいしょーさんが、立っている人の全てを把握しているわけではないと言ったときだ。

「良いパフォーマンスをするというと、広い視野で意識がクリアな状態だと一般的に思ってしまうんだけど、たいしょーの視野は意外と狭いんだね」

あの日のたいしょーさんは調子が良かったそうだけど、わけがわからない状態でもあったんだろう。となると、引き出し自在の境地に立つには「わけわからない」のがキーポイントなんだな。

そう考えると、気持ちが楽になった。稽古では、普段意識していた歩法が自然と出ていたし、練度の高い技が出てきていた。「わけわからない」「てきとー」でも、意外となんとかなるのだ。自分の積み重ねを信じれば本番でも意外と累積が反映される。なかなかロマンチックな話ではないか。

また、一つの仮説が出来た。歩きが無意識に繫がるというものだ。普段の稽古では、一つの型を終わったときに立ち止まるが、今回は立ち止まらずに歩きながら攻防を行った。そのことが技の呼び水になったということは考えられることである。今後の一人稽古の課題になるはずだ。