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2014年10月9日木曜日

問えない。書けない。そんな日。

107日(火)

ここ数日、不調だな。
メタ認知がうまくいかない。
自分から問えない。
エッセイが書けない。

そんな悩みを身体班のメンバーに打ち明けてみた。

「スランプじゃないですか」
「語るしかないね」
オンライン上での会話だけど、自分の悩みをきいてくれる存在がうれしい。
話をきいてくれる相手がいると、少しずつだけどことばが生まれてきてくれる。


メタ認知は、自分のからだと向き合って、じっくりおしゃべりをすることで促進されるものだとは思っている。
でも、今踊っている踊りでどうしてもうまくできなくて悔しいところがあって(パッセのところ)、それを早く克服したくて、稽古中も踊りながらどんどんメタ認知が進めばいいのにって思ってしまって。
でもやっぱり稽古場はやることも情報量も多すぎて、稽古中にメタ認知って無理かもなあ。

そんなふうに話すと、こんな反応が返ってきた。

「うん、メタ認知で身に染みた思考や動きが正しいか確認する場所が稽古場だと思ってる。
メタ認知しながらだと先生のことばをその場で吸収しにくいし。
ゆっくりしようよ。」

ほんとにその通りだと思った。
メタ認知で身に染みたことをやってみる場所が稽古場。
分かっていたつもりだったけど、自分で「分かっている」と思うのと、誰かに言われるのとでは結構違うみたい。

やっぱり、そうだよね。そういうもんだよね。
とても安心できた。
ゆっくりしようよ、という一言で、自分が焦りすぎて空回りしていることに気付けた。


私「悔しくて、焦っちゃうんだよね。そして書けないことでまた焦る。」
メンバー「悔しさって?」
私「どうしてもうまくできない動きがあって。自分の右脚がうまく動かない。でも、この間の入力変数で、ずいぶん良くなってきているとは思うんだ。成果がどどん!と来ないだけで。」
メンバー「最初から凄いことを書こうとするんじゃなくて、どうでもいいことでいいんじゃない? お金をとるわけでもなく、どうせ自分のエッセイやん。 どどん!とくると気持ちいいよね。」

彼は、どうでもいいことを書く人として著名な人物の名前を挙げた。
私はこの人の本を読んだことがなかった。
彼は続けた。

この人は本当にどうでもいいこと書いてるんだよね。
でも、そんなどうでもいいことに「なにか凄いことを書いてるんじゃないか」と思って(この人の本を)捨てられなくなる。
どうでも良いことから新しくことばが生まれるねん。
…ということでどうでもいいこと書いて!深爪しすぎたとかそのレベルでいいからさ。


深爪しすぎたことをつらつらと書いている自分を想像したら、なんだか面白くて、わくわくしてきた。
なんかそういうどうでもいいことあったっけなあ…。
…あった。

私「そういえば、おとといの舞台の作業で、手のひらにビスが刺さって傷ができたの。小さい傷なんだけど結構痛くて。
意外と手のひらの中央って、手を動かすたびにしわの寄り方が変化して、実はここの皮膚ってすごく動いてたんだなあって気付いた。」
メンバー「いいね。きっと新しい着眼点あるよ。
いつか何かに繋がるかもね。」

どうでもいいことのなかに、なにか凄いことを見出す。
それができれば、私の毎日はより一層豊かになると思う。
そして、私は今、そういう素敵なことをやろうと努力しているんだ。
誇りに思った。

そして、こういうときに話せる仲間がいることは幸せだな、と。
話を聞いてくれる相手がそこにいると、ことばを紡げるようになる。
話に反応してなにかを言ってくれる相手がそこにいると、自分だけではたどりつけなかった問いに出逢える。

久しぶりのブログは、なんだかからだメタ認知のエッセイといえるものではないかもしれないけれど、今の自分のからだメタ認知に向き合う過程を書けたと思う。
また悩んだら、これを読もう。

Koseki


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