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2014年10月7日火曜日

どこに球を置くか。虚の球を磨く


世界は武術を手に入れる。武術の深みを伝える尖兵、よーりがお送りします。


……continuing……


前回に引き続き、世界に隠された球を探していると新たな球を発見した。灯台下暗し。足下に潜んでいたのだ。


僕は師範に最近褒められた「這い」を朝の独り稽古で練っていた。
這いとは両腕を上げながら腰を落とし、斜めにジグザグに歩くという歩法である。


足裏が地表を撫でるようにしてゆっくりと進む。何往復かして自分の足跡を眺めると、あるビジョンが脳裏をかすめた。蛇に似ていた。
足を軽く引きずった跡が蛇行をしていたのだ。這いでは自分の重心をジグザグに移動させる。その結果、足の軌跡が波打ったのだ。
この蛇行の跡に僕はもう一つ記憶を刺激された。それは塾で偏西風を教えたときの図だ。偏西風の軌道は蛇行で、その山と谷の幅が狭まると気圧が増減する。低気圧、台風だって一つの球である。僕は気付かないまま足下に球を作っていたのだ。そこから足下の球を意識して這いを続けたが、それはそれは楽しい発見の連続だった。

まず、空間への開きの意識をもともと僕は持っていたがそれと繫がるのだ。武術でも格闘技でも構えがあるが、構えとは球を作る形だと常々思っている。ボクシングのアップライトは小さく強い球を秘めて、形意拳をはじめとする中国拳法は大きい球を作って懐を深くする。


ただ、多くの場合、その球は閉じている。閉じているということは隙がないこと、排他することだ。どこから相手の攻撃が来るか分からないとき、この「閉じた球」は有効に思える。しかし、どこから来るか分からないときは勇気を持って、あえて開くという選択肢がある。閉じているならどこから攻めても同じだけれど、一端が綻んでいたらどうだろう。多く人が「隙あり!」と見てとってそこを衝いてくるのだ。完璧な球ではなく、球に瑕があるのも良いものだ。自分でつけた瑕なら、どこに瑕があるか分かっているため対処もしやすい。この開いた球を僕は「空間に開いている」と表現しているのだ。

僕が這いを使って相手の死角に入ったときに「タイミングが絶妙だね」と最近お褒めの言葉をいただく。しかし、僕としてはタイミングを図っているつもりがない。なんだか相手が勝手に真空に吸い寄せられているようだという感想を持っていた。

果たして、真空に吸い寄せられていたのかもしれない。這いのとき、両腕は上げているがそれらは球を囲んでおらず半円状に開いている。顔も前に出ていて、相手の立場からすると「狙ってください」と誘っているみたい。開いた球に吸い込まれるように相手は飛び込んでくる。そのときに僕は、上半身で作った球を足でなぞるように地上に作る。相手の側面を半円に囲む。僕はもう死角に移動しているのだ。これが真相ではないか。開かれた球は真空になって相手を吸い寄せ、それを僕が足で取り囲むのだ。ただ相手の側面に付くだけにとどまらず、背後をとることもある。半円でなく、円で取り囲むときに背後をとれるのかもしれない。

その確信を持って、僕は斜めに踏み出すだけでなく踵を外に開いて円を描いてみた。ぎゅるんと身体が一回転した。足で地面に円を描くと身体が回転する。当たり前のことのようだが、僕には凄いことが起きたように感じた。そのときの動きが八卦掌の回転のようだったからだ。
https://www.youtube.com/watch?v=OKGYgxaV1PE

前回の最後に「空間に描く虚球を磨く」と書いたが、そのとき真っ先に思いついたのは八卦掌の走圏であった。大きな円の周囲を歩くという歩法である。
https://www.youtube.com/watch?v=rHGqRpC9atI

八卦掌の動きは虚球の意識を使って歩くことを大本にして、虚球に相手を引き込んで倒すという戦略があるのではないかという仮説にまた一つ根拠ができた。這いのときの足を虚球を磨くように運ぶと、ことごとくの動作が八卦掌に似て出力されるのだ。上半身や体軸で虚球の縁を描く意識は以前からあったが、まだ足下という余地があったのは驚きであった。

さて、朝の稽古が終わってバイトに向かった。その途中で稽古の惰性で足運びが這いのように少しジグザグしていると、おじさんが早足で歩いてきてぶつかりそうになった。這いの運びなものだからそのまま自然に避けられるなと思っていたら、避けたと思った僕の身体の戻りが意外に早かったようで結局肩をぶつけてすれ違った。おじさんの方も少し避けてくれていたら間違いなくぶつからなかったはずだ。しかし、僕の足に虚球があったせいでそのまま避けずとも直進して抜けられると錯覚したのではないだろうか。

バイト(立ち仕事)では両足の間に虚球がある意識で働いていた。すると、思わぬ発見があった。僕の声は普段通りにくいのだが、その日は肚の底から出て、いやにはっきり通るのだ。自分の感覚を詳細に分析すると、どうやら骨盤底筋が始めに動いて次に下っ腹、腹筋へと息を圧縮しているらしい。

さらに、その日に稽古に行くと、いつもより崩し技をかけやすい。足下から相手の靴底の下に入って斜め上に突き上げているような感覚があった。下を意識することで重心が下がったようだ。

稽古後の食事で、師範に「これ貸してあげるよ」と言われた。驚いたことに八卦掌のDVDだった。思わず、啐啄同時(そったくどうじ)という禅の言葉が浮かんだ。親と雛が外から中から同時に卵の殻を割ろうとする様子を言った言葉で、弟子が求める教えと師が授けようとした教えが同時に一致することだ。まさに、この言葉でしか表現できない一瞬だった。「あ、ありがとうございます」と気の抜けたような返事をしてしまったが内実、忘れることはあるまい。先日、僕は一念発起して自宅にプロジェクターを買ったばかりなのだ。視力が弱い僕でも壁一面にDVDを映せば、複雑な八卦掌の動きを等身大でトレースすることができる。全く、奇跡のような一日だった。こういうことがあるから武術は面白い。

by DVDを見ながら筆を置くよーり

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